最近読んだある著名人の本で、「趣味で英語以外の外国語を勉強するのは、時間とお金の無駄以外の何物でもない」という記述を見かけました。
今日はその点に関して、自分なりの意見を述べてみたいと思います。
この著者の論点としては、言葉を勉強するのには物凄く時間と労力がかかるので、語学のせいで読書の時間を減らさなくてはいけなくなり、知的生産ができなくなると警告しています。
これにはもちろん一理あります。僕も毎日イタリア語の勉強にたくさん時間を使っているので、読書に回せる時間は必然的に減っています。
でも、だからといって、僕は時間とお金を無駄にしているとは決して思いません。
この問題に関しては、われわれ語学愛好家が、そもそもどうして英語以外の言語を手がけているのか、という理由をはっきりさせると、考えがグラつかなくなります。
僕は複数の言語を学ぶ理由を、よくテレビの視聴に例えて考えています。
英語と英語以外の言語は、テレビでいうならばNHKと民放の関係によく似ていると思います。
英語を勉強するのは、とにかく秀逸な番組が多いNHKを視聴するのとよく似ていて、それはそれで非常に有益なことです。
一方、英語以外の言語を勉強するのは、NHK以外の民放のチャンネルを視聴するのと似ています。ニュースやテレビドラマ、バラエティ、ワイドショーなど、こちらも非常に豊富で面白い内容を提供しています。
テレビを楽しむのにNHKだけでいいと言う人はそのままで結構ですが、いったん民放の色鮮やかな番組を見てしまうと、大抵の人はNHKの番組だけでは飽き足らず、民放の番組も見たくなります。
僕自身も、英語だけを学んでいればよかったのですが、中国語やフランス語に触手を伸ばし、その背景にある色鮮やかな世界を見てしまったので、もう元に戻れなくなりました。
今手がけているイタリア語に関して話をするなら、イタリアにはまだ他の言語に訳されていない文学や映画など、たくさんの文化的な財産が存在します。イタリア語を学ぶ人だけがそれらの文化的な財産を楽しめるので、それは他の人が見ることのできない美しい景色が見られる特権でもあります。
では、英語以外にどれだけたくさん言語を学ぶべきなのでしょうか?
テレビの例えに話を戻すと、NHK以外に民放のチャンネルがどれだけ欲しいのかという問題になりますが、これは個人の興味によります。チャンネルの数を増やしすぎると、特定のチャンネルをじっくりと楽しめなくなりますし、チャンネルが少な過ぎると、それも退屈すぎます。
自分が一番テレビを楽しめるにはどれだけチャンネルが必要なのか、実体験に基づいてバランスの取れるところまで調整し、そこの均衡点で落ち着かせればいいと思います。これには完全に個人差が出ます。
僕は大学を卒業後、東京で社会人を5年間やっていましたが、どうも単一言語で1日の全てが終始してしまう環境に飽き足らなくなってしまい、シンガポールへの移住を決めました。
シンガポールの多言語・多文化の環境は僕に常に刺激を与えてくれるので、個人的にはこちらに移住したのは正しい決断だったと思います。
でも、僕と違って、日本のような単一言語の環境により適しているという人もいるでしょう。そういう人はもちろん日本で暮らし続けるのがベストな選択だと思います。
たぶん冒頭に述べた本の著者は、テレビの例えでいうならばNHKのみの方がじっくりテレビを楽しめて良いという考えなのかもしれません。それはそれで大いに結構なことです。
ただ、テレビにはNHKだけではなくて民放もあったほうが楽しいと思う人も確実にいるので、一概に「趣味で英語以外の外国語を勉強するのは時間とお金の無駄だ」と切り捨てるのは適切ではないと僕は考えます。
僕はイタリアの地理や文化に興味があるので、これからもイタリア語の勉強を続けていくつもりです。
識者に「それは無駄だ」と言われて、そのまま唯々諾々と勉強を止めているようでは、結局自分が損するだけで終わるので、この点においては自分に素直になって、勉強を続けていきたいと思います。
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